井筒三兄弟の現在は?鶴嶺山・逆鉾・寺尾の経歴、訃報と功績を徹底解説
「井筒三兄弟」とは、元十両の鶴嶺山、元関脇の逆鉾、元関脇の寺尾という、昭和から平成の大相撲を彩った三兄弟力士のことです。父は「もろ差しの名人」と呼ばれた元関脇・鶴ケ嶺。三人はいずれも父が師匠を務めた井筒部屋で力士として成長し、大相撲史に残る記録を打ち立てました。
しかし、2026年現在、三兄弟は全員すでに亡くなっています。長兄の鶴嶺山は2020年、次男の逆鉾は2019年、三男の寺尾は2023年にそれぞれ死去しました。日本相撲協会の公式発表や当時のスポーツ紙の報道をたどると、三人の現役時代の実績だけでなく、井筒部屋の歴史、兄弟の絆、そして相撲界に残した影響が浮かび上がります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 三兄弟の正体:鶴嶺山・逆鉾・寺尾は、父の鶴ケ嶺を師匠とする相撲一家に生まれた兄弟力士。
- 大相撲史の記録:三兄弟全員が関取となった史上初の例で、逆鉾と寺尾は1989年春場所に史上初の兄弟同時関脇を達成。
- 三人の訃報:逆鉾は2019年、鶴嶺山は2020年、寺尾は2023年に死去。2026年現在、三兄弟は全員故人。
- 現在につながる功績:井筒部屋そのものは現存しないが、錣山部屋や音羽山部屋などに旧井筒系統の流れが受け継がれている。
【井筒三兄弟とは】父・鶴ケ嶺のもとで育った史上初の三兄弟関取
井筒三兄弟の父は、1929年生まれの元関脇・鶴ケ嶺昭男(つるがみね・あきお)です。現役時代は巧みな差し手を武器に活躍し、技能賞10回を含む三賞14回を獲得。「もろ差しの名人」として知られました。
鶴ケ嶺は1967年に現役を引退した後、親方として後進の育成に携わりました。君ケ浜部屋を興し、のちに井筒部屋の名跡を継承。息子三人も父の指導のもとで力士となり、それぞれ異なる個性を発揮しました。鶴ケ嶺自身は2006年5月29日に77歳で亡くなっています。
三兄弟の長男は鶴嶺山(かくれいざん)、次男は逆鉾(さかほこ)、三男は寺尾(てらお)。三人の本名はいずれも福薗姓で、鶴嶺山の本名は福薗好政、逆鉾は福薗好昭、寺尾は福薗好文です。
三兄弟が注目された最大の理由は、全員が十両以上の「関取」に昇進したことです。日本人名大辞典や当時のスポーツ報道でも、三兄弟全員が関取になった史上初の例として紹介されています。
ここで押さえておきたいのは、「三兄弟全員が関取になったこと」と「三人全員が同じ場所で関取として土俵に上がったこと」は別だという点です。長兄の鶴嶺山と次男の逆鉾は1981年名古屋場所でそろって新十両となり、その後、寺尾が1984年名古屋場所に新十両へ昇進しました。三人がそれぞれ関取の地位を経験したことが、歴史的な記録として語り継がれています。

【番付と経歴を比較】鶴嶺山・逆鉾・寺尾の実績
三兄弟は同じ父のもとで育ちながら、番付上の到達点も、相撲の持ち味も異なりました。長兄の鶴嶺山は十両で活躍し、次男の逆鉾と三男の寺尾は関脇まで昇進。それぞれが異なる形で井筒部屋の名を広めました。
| 項目 | 鶴嶺山 | 逆鉾 | 寺尾 |
|---|---|---|---|
| 本名 | 福薗好政 | 福薗好昭 | 福薗好文 |
| 兄弟順 | 長男 | 次男 | 三男 |
| 最高位 | 十両2枚目 | 関脇 | 関脇 |
| 初土俵 | 1975年3月場所 | 1978年1月場所 | 1979年7月場所 |
| 主な得意技 | 突っ張り、もろ差し | もろ差し、速攻、外掛け | 突っ張り、押し、いなし |
| 主な実績 | 十両昇進、各段優勝 | 金星7個、殊勲賞5回、技能賞4回 | 通算860勝、幕内在位93場所 |
| 死去 | 2020年3月28日 | 2019年9月16日 | 2023年12月17日 |
鶴嶺山は1959年11月24日生まれ。1975年3月場所に初土俵を踏み、最高位は十両2枚目でした。関脇まで上がった弟たちと比べると番付上の実績は控えめですが、兄弟がともに関取として活躍する時代を築いた一人です。
逆鉾は1961年6月18日生まれ。1978年初場所に初土俵を踏み、1982年九州場所で新入幕を果たしました。最高位は関脇で、金星7個、殊勲賞5回、技能賞4回を記録。1987年九州場所から1989年春場所まで9場所連続で関脇を務めたことも、当時の大きな実績でした。
寺尾は1963年2月2日生まれ。1979年名古屋場所に初土俵を踏み、1984年名古屋場所で新十両、1985年春場所で新入幕となりました。最高位は関脇。日本相撲協会の力士プロフィールでは、得意技として突っ張りが挙げられています。
寺尾の通算成績は860勝938敗58休。幕内在位93場所、幕内連続出場1063回、通算出場1795回という数字は、長く第一線で戦い続けたことを物語ります。スポーツ紙の訃報記事では、39歳まで現役を続けたことから「土俵の鉄人」と呼ばれたと紹介されました。
【親子関係と井筒部屋】鶴ケ嶺から逆鉾へ受け継がれた伝統
井筒三兄弟を理解するうえで欠かせないのが、父・鶴ケ嶺と井筒部屋の存在です。鶴ケ嶺は現役時代から差し手の技術に定評があり、引退後は師匠としてその技術を後進に伝えました。息子たちが同じ部屋で稽古を積んだことは、三人の相撲を語る際の重要な背景です。
井筒部屋の歴史は明治時代にさかのぼります。共同通信の用語解説などによると、初代西ノ海が1896年に創設した伝統ある相撲部屋です。いったん途絶えた後、元関脇・鶴ケ嶺が率いた君ケ浜部屋が名称を改める形で復活しました。
父の引退後、次男の逆鉾は1994年に第14代井筒を襲名して部屋を継承しました。逆鉾は現役時代に培った相撲技術を後進に伝え、横綱・鶴竜を育てたことでも知られています。2019年に逆鉾が亡くなるまで、井筒部屋は伝統ある相撲部屋として角界を支えていました。
一方、寺尾は2002年秋場所中に現役を引退し、年寄「錣山」を襲名。2004年1月には井筒部屋から独立して錣山部屋を創設しました。小結・豊真将や幕内優勝経験者の阿炎らを育てたことで、指導者としても存在感を示しました。
つまり、三兄弟は単に同じ父を持つ力士というだけではありません。父から受け継いだ技術を土俵で磨き、引退後には部屋の継承や独立を通じて次の世代へつないだ存在でした。井筒部屋の歴史は、親子三代にわたる指導と継承の歴史でもあります。

【三人の訃報】逆鉾・鶴嶺山・寺尾はいつ、何歳で亡くなったのか
井筒三兄弟について検索する読者が気にかけるのが、三人それぞれの訃報と死因です。次男の逆鉾、長男の鶴嶺山、三男の寺尾は、約4年の間に相次いで亡くなりました。ただし、三人の逝去日は異なり、死因についても公表内容に違いがあります。
逆鉾(福薗好昭)は2019年9月16日、58歳で死去しました。日本相撲協会は公式のお知らせで逝去日を発表しています。日刊スポーツなど当時の報道によると、秋場所前から体調を崩し、東京都内の病院に入院していました。死因については膵臓がんとみられると報じられましたが、協会の訃報発表そのものに死因の記載はありません。
鶴嶺山(福薗好政)は2020年3月28日、60歳で死去しました。スポニチの2020年5月17日付報道によると、東京都内の自宅で急性心不全のため亡くなり、葬儀・告別式は近親者で営まれました。訃報が公になったのは同年5月で、四十九日が過ぎるまで公表を控えていたことも報道されています。
寺尾(福薗好文)は2023年12月17日、60歳で死去しました。日本相撲協会は翌18日、元関脇・寺尾の錣山親方が亡くなったと公式発表しました。スポニチやTBS NEWS DIGなどの報道によると、死因はうっ血性心不全で、東京都内の病院で亡くなりました。
三人の訃報を時系列で見ると、逆鉾が亡くなった2019年に続いて、翌2020年に鶴嶺山、さらに2023年に寺尾が亡くなっています。三兄弟がそろって土俵に立った時代を知る相撲ファンにとって、長兄、次男、三男と相次いだ別れは、昭和・平成の大相撲を象徴する一つの時代の終わりを感じさせる出来事でした。
【得意技と評判】もろ差しの逆鉾、突っ張りの寺尾が愛された理由
三兄弟の魅力は、同じ相撲部屋で育ちながら、それぞれの個性を土俵上で明確に打ち出したことです。父・鶴ケ嶺が得意としたもろ差しは、相手の両腕の内側に自分の腕を差し入れ、組み手を有利にする技術。逆鉾はこの技を自分の武器として磨き、相手の懐に入り込む速攻で強豪を苦しめました。
逆鉾の名勝負を語る際に挙げられるのが、1984年初場所で全勝だった横綱・隆の里から初金星を挙げた一番です。日刊スポーツなどの報道では、得意の外掛けで横綱を破ったことが紹介されています。小柄な体格を技術と運動神経で補い、横綱・千代の富士をも苦しめた取り口は、逆鉾の評価を決定づけました。
対照的に、寺尾は回転の速い突っ張りを中心に、押し、いなし、はたきなどを織り交ぜる攻めが持ち味でした。身長185センチ、現役時代の体重116キロという体格で、大型力士が並ぶ幕内を長く戦い抜きました。激しい突き押しに加え、端正な顔立ちも人気を集めた理由の一つとして、当時のスポーツ紙に取り上げられています。
鶴嶺山も突っ張りやもろ差しを得意としましたが、弟たちのように関脇へ昇進することはありませんでした。それでも、三人のうち最初に角界入りし、弟たちが成長する時代をともに過ごした長兄の存在は、井筒三兄弟という物語の出発点です。
三兄弟の記録で特筆すべきなのが、1989年春場所です。この場所、逆鉾が東関脇、寺尾が西関脇となり、兄弟が同時に関脇へ昇進した史上初の記録が生まれました。三兄弟全員が関取になった記録とは別に、逆鉾と寺尾の「兄弟同時関脇」は、番付に刻まれた明確な歴史的快挙です。
同時関脇が実現した背景には、逆鉾が長く関脇を務める安定感と、寺尾が突き押しを武器に地道に番付を上げた歩みがありました。兄弟だから同じ相撲を取るのではなく、得意技も成長の過程も異なる二人が、それぞれの努力で同じ地位にたどり着いたことに、この記録の価値があります。

【2026年現在】井筒部屋はどうなった?三兄弟が相撲界に残した功績
2026年現在、日本相撲協会の公式な相撲部屋一覧に「井筒部屋」の名称はありません。2019年に師匠の逆鉾が亡くなったことで、同部屋はその歴史に区切りを迎えました。したがって、現在の井筒部屋の親方や所属力士を探しても、かつての部屋がそのまま存続しているわけではありません。
ただし、井筒部屋にゆかりのある力士や指導者の流れが途絶えたわけではありません。寺尾が創設した錣山部屋は、寺尾の死去後、元小結・豊真将が継承しました。また、逆鉾の弟子だった元横綱・鶴竜は、陸奥部屋を経て2023年12月に音羽山部屋を創設しています。旧井筒部屋に連なる指導の流れは、現在の相撲部屋にもつながっています。
三兄弟の功績は、番付や受賞歴だけでは測れません。逆鉾は技術派の関脇として井筒部屋を継ぎ、横綱を育成しました。寺尾は長い現役生活で人気を集めた後、独立した部屋で次代の力士を育てました。鶴嶺山は十両力士として兄弟の歴史を支え、引退後は東京都内でちゃんこ店「相撲茶屋寺尾」を営んでいました。
三人に共通するのは、父から受け継いだ技術と相撲への姿勢を、それぞれの形で次世代へ伝えたことです。逆鉾のもろ差し、寺尾の突っ張り、鶴嶺山の関取としての歩みは、記録上の数字にとどまらず、昭和・平成の大相撲を知るうえで欠かせない要素となっています。
また、相撲部屋の歴史は師匠一人の死去で完全に消えるものではありません。部屋の名称がなくなっても、育った力士、独立した師匠、受け継がれた稽古や指導の考え方を通じて系譜は残ります。井筒三兄弟を振り返ることは、個人の記録だけでなく、大相撲における部屋制度と師弟関係の意味を考えることにもつながります。
【井筒三兄弟】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:井筒三兄弟とは誰のことですか?
A1:元十両の鶴嶺山、元関脇の逆鉾、元関脇の寺尾の三人です。父は元関脇・鶴ケ嶺で、三人とも父が師匠を務めた井筒部屋で力士として成長しました。
Q2:井筒三兄弟は全員亡くなったのですか?
A2:はい。逆鉾は2019年9月16日、鶴嶺山は2020年3月28日、寺尾は2023年12月17日に亡くなりました。2026年現在、三兄弟は全員故人です。
Q3:三兄弟のうち、最も番付が高かったのは誰ですか?
A3:次男の逆鉾と三男の寺尾が、ともに最高位の関脇まで昇進しました。1989年春場所には二人が東西の関脇に並び、史上初の兄弟同時関脇を記録しています。長兄の鶴嶺山の最高位は十両2枚目です。
Q4:逆鉾と寺尾の死因は何ですか?
A4:逆鉾については、2019年の報道で膵臓がんとみられると伝えられました。一方、寺尾については、日本相撲協会の発表を受けた報道で、うっ血性心不全とされています。
Q5:2026年現在、井筒部屋は存在しますか?
A5:現在の日本相撲協会の公式な相撲部屋一覧に、井筒部屋は掲載されていません。寺尾が創設した錣山部屋や、元横綱・鶴竜が創設した音羽山部屋などに、旧井筒部屋に連なる系譜が受け継がれています。
まとめ:井筒三兄弟が昭和・平成の大相撲に残したもの
井筒三兄弟は、父・鶴ケ嶺の指導を受け、三人全員が関取となった史上初の兄弟力士です。長兄の鶴嶺山は十両、次男の逆鉾と三男の寺尾は関脇へ昇進。それぞれの得意技と個性で土俵を沸かせ、1989年春場所には逆鉾と寺尾が兄弟同時関脇という歴史的な記録を打ち立てました。
三人の訃報は、逆鉾が2019年、鶴嶺山が2020年、寺尾が2023年と続きました。2026年現在、井筒部屋そのものは存在しませんが、錣山部屋や音羽山部屋などに旧井筒系統の流れが残っています。
井筒三兄弟を知るうえで大切なのは、最高位や勝ち星だけで力士を評価しないことです。もろ差しの技術で名を残した逆鉾、突っ張りと長い現役生活で愛された寺尾、十両力士として兄弟の歴史を支えた鶴嶺山。三人の異なる歩みをたどることで、昭和・平成の大相撲が持っていた技術の奥深さと、師匠から弟子へ、親から子へと受け継がれる相撲文化の重みが見えてきます。 (出典: 井筒 三 兄弟(Yahoo!ニュース))