相内誠の現在は何をしている?西武ライオンズ退団理由から格闘技転向の戦績まで徹底解剖
高校時代に「房総のダルビッシュ」と称され、ドラフト2位で埼玉西武ライオンズに入団した相内誠。プロ野球ファンのみならず、格闘技界への電撃参戦でも大きな話題を呼びました。かつて登録名「誠」としてマウンドに立ち、その後グラブをグローブに持ち替えてリングに上がった彼の歩みは、日本のプロスポーツ界においても極めて異例のキャリアとして知られています。
2026年を迎えた現在、相内誠は何を本拠地にどのような活動を続けているのか、関心を寄せるファンは少なくありません。本稿では、千葉国際高校時代から西武ライオンズでの足跡、度重なる謹慎処分と退団の真相、キックボクシング転向後のリアルな戦績、そして現在の立ち位置まで、客観的な記録と報道データを基に徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:埼玉西武ライオンズで通算8年間プレーし、一軍未勝利のまま2020年シーズン終了をもって契約解除・事実上の戦力外通告となった。
- 要点2:退団直後にキックボクシングへ転向し、格闘技イベント「RISE」等に参戦。激しいKO負けを経験しつつも初勝利を挙げるなど挑戦を続けた。
- 要点3:2026年現在は格闘家としての経験を糧に、競技活動の枠にとどまらず自身のSNS発信や独自の事業展開を模索しながら新たなステージを歩んでいる。
【波乱の原点】千葉国際高校での台頭とドラフト指名
相内誠のキャリアの原点は、千葉国際高校時代に遡ります。千葉県柏市に生まれ、富津市で育った相内は、幼少期に児童養護施設で暮らした生い立ちを持ちながらも、高校野球の舞台で一躍全国区の注目を集めました。
長身細身のしなやかなフォームから繰り出される最速140キロ台中盤の直球と鋭い変化球は、スカウト陣の間で「房総のダルビッシュ」の異名を取るほどの高い評価を獲得。2012年のプロ野球ドラフト会議において、埼玉西武ライオンズから2巡目指名を受け、華々しいプロの世界への扉を開きました。天性の身体能力と投球センスは、将来のエース候補として球団からもファンからも熱い視線を集めていたのです。

【西武ライオンズ時代】登録名「誠」への改名とプロ通算成績
期待を背負ってプロ入りした相内でしたが、ルーキーイヤーから私生活のトラブルにより度重なる謹慎処分を受けるなど、順風満帆とは程遠いスタートとなりました。心機一転を図るため、2014年シーズンからは登録名を本名から「誠」(まこと)へと変更。背番号41を背負い、一軍での定着を目指してマウンドに上がり続けました。
二軍(イースタン・リーグ)では先発ローテーションの一角として好投を見せる場面もありましたが、一軍の厚い壁に跳ね返される日々が続きました。一軍公式戦では制球難や勝負所での痛打が目立ち、先発・救援を問わず定着には至りませんでした。2018年には登録名を再び本名の「相内誠」に戻し、背番号も66へと変更して背水の陣で挑んだものの、殻を破ることはできませんでした。
【退団の真相】相内誠のプロ野球キャリアと主要年表
相内誠が西武ライオンズを去ることになった直接的な引き金は、2020年シーズン中に発生した度重なる規律違反でした。コロナ禍による自粛期間中における規則違反ゴルフや、自動車運転に関する法令違反などが球団調査によって発覚。球団から無期限の対外活動禁止処分が下され、同年のシーズン終了に伴い戦力外通告を受け、事実上の契約解除となりました。
以下は、相内誠の高校時代からプロ野球退団、格闘技参戦に至るまでの主な経緯をまとめた対照年表です。
| 時期 | 主な出来事・所属 | 実績・状況の詳細 |
|---|---|---|
| 2012年 | 千葉国際高校でドラフト指名 | 埼玉西武ライオンズから2巡目指名を受け仮契約を結ぶ |
| 2014年〜2017年 | 登録名を「誠」へ変更 | 環境刷新を図り一軍登板を目指すも二軍生活が主となる |
| 2018年〜2020年 | 登録名を本名「相内誠」へ復帰 | 一軍公式戦で初勝利を挙げられず、2020年に規律違反で退団 |
| 2021年 | キックボクシング転向表明・デビュー | 立ち技格闘技「RISE」でデビュー戦に挑むもKO負けを喫する |
| 2022年〜現在 | 格闘技参戦の継続と多角展開 | 勝利を記録したのち、自身のキャリアを活かした独自活動へシフト |
西武での一軍通算成績は21試合に登板し、0勝7敗、防御率10.05。一度も公式戦での白星を手にすることなく、プロ野球生活に幕を下ろすこととなりました。年俸も推定最高額の約800万円前後から減額制限前後の推移にとどまり、素質を開花させ切れないまま退団に至った経緯は、多くの野球関係者に惜しまれました。

【格闘家への転向】キックボクシング「RISE」参戦とリング上の戦績
NPBを去った相内が次なる挑戦の舞台に選んだのは、グラウンドではなく四角いリングでした。2021年2月、人気立ち技格闘技イベント「RISE eldorado 2021」において、プロキックボクサーとしてのデビュー戦が組まれました。
デビュー戦ではDelgermuru拳信王と対戦したものの、格闘技キャリアの差は歴然で、1ラウンドわずか2分足らずでKO負けを喫するという過酷なプロの洗礼を受けました。しかし、ここで引き下がることなくトレーニングを重ね、同年の大会ではKO勝ちを収めて格闘家としての初白星を記録。世間の冷ややかな視線を覆す一撃を見せつけました。
その後も総合格闘技や他団体への参戦を模索しつつリングに上がり、派手な打ち合いでファンを沸かせました。格闘技界における通算戦績は数戦にとどまるものの、「元プロ野球選手が本気で殴り合いに挑む」という姿勢は、単なる客寄せパンダの枠を超えた爪痕を残しました。
【2026年最新動向】相内誠の現在とこれからの展望
格闘技への本格参戦から年月が経過した2026年現在、相内誠は定期的なリング出場からは一歩距離を置きつつ、新たなビジネス展開や情報発信に注力しています。
YouTubeや各種SNSを通じて、自身の波乱万丈な半生やプロ野球界・格闘技界の内幕、トレーニング風景などを包み隠さず発信するインフルエンサー的な側面を持ち合わせる一方、アスリートのセカンドキャリア支援やパーソナルトレーニング指導、飲食関連のプロデュースなど、多方面での活動を行っています。
挫折と規律違反によってプロ野球を追われ、格闘技の過酷なリングに身を投じた経験は、良くも悪くも彼にしか語れない唯一無二の物語となりました。毀誉褒貶を背負いながらも、自分自身の道を自力で切り拓こうとする姿勢は、現在も一定のフォロワー層から注目を集め続けています。

【相内誠】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:プロ野球時代の登録名「誠」にした理由は何ですか?
A1:入団当初のトラブルや謹慎処分を経て、私生活と気持ちを一新し、野球に対して真摯に向き合う決意を示すために2014年から2017年まで本名の名字を外し、下の名前である「誠」を登録名として使用していました。
Q2:西武ライオンズを退団した決定的な理由は何ですか?
A2:2020年シーズン中に発覚した新型コロナウイルス感染拡大に伴う自粛期間中のゴルフプレーや、自動車の運転に関する重大な法令違反・チーム規則違反が原因です。無期限対外活動禁止処分を受けた後、同年の契約更新を行わず事実上の戦力外・退団となりました。
Q3:キックボクシングでの最終的な戦績はどうなっていますか?
A3:RISEを中心に参戦し、デビュー戦ではKO負けを喫したものの、続く試合でKO勝利を挙げています。公式戦での戦績は1勝2敗前後(エキシビション等除く)と決して華々しい数字ではありませんが、厳しい減量とリング上での真剣勝負を完遂したことで格闘技界からも一定の敬意を集めました。
まとめ:波乱のキャリアが物語る再起のリアリティ
高校球界のスターからプロ野球のエース候補、そして規律違反による失脚と格闘技への転身。相内誠が歩んできた道は、絵に描いたような栄光の物語ではありません。しかし、幾度となく世間からの厳しい批判に晒されながらも、リングに立ち、己の肉体一つで再起を図ろうとした姿は、単なる過去の選手という枠に収まらない強烈な存在感を放っています。
2026年を迎えた現在、彼はスポーツの第一線とは異なる形で自身の経験を社会へ還元し、新たな人生の基盤を築き上げています。過去の過ちを消し去ることはできずとも、それを背負った上で次にどう生きるか。相内誠の現在進行形の挑戦は、レールを外れた人間の生き様として今もなおリアルな教訓を投げかけています。 (出典: 相 内 誠(Yahoo!ニュース))